クオリアという謎

 蔵書を廃棄されてしまっていたのでかなり昔の著書ですが、改めて古書単行本で入手。


 茂木健一郎著 日経サイエンス社刊
 脳とクオリア
 1997年4月24日 1版1刷
 ISBN4-532-52057-6

 『クオリア』について気になる事がありましたので改めて読み返しをしました。
 著者の茂木健一郎氏を一躍有名にしたのがこの著書。「クオリア」と言う言葉を広めたのが一番の功績と言えるでしょう。
 言葉自体はラテン語のqualitasあるいはqualisに由来する言葉で古くから使われていますが、現代的な意味での認知科学あるいは神経科学(今では脳科学の方がトレンドな分野でしょうか)でこの言葉が使われ始めたのは20世紀に入ってからです。
 哲学者であるクラレンス・アーヴィング・ルイスが著作『精神と世界の秩序』の中で識別可能な質的特徴を「クオリア」と呼んだのが始まりで、同じく哲学者であるネルソン・グッドマンらによって広められたようです。元々は認知科学の言葉ではなく哲学用語だったのをこの方面で使い始めたのが現在の「クオリア」の用法でしょう。
 「クオリア」という単語は私の印象からすると分からない概念をひとまとめにして言いくるめるために使われている便利な言葉・概念であると認識しています。そもそもクオリアという概念そのものに意味があるのかどうかすら怪しい。クオリアという言葉をわざわざ使わずに「感じ」という有用な日本語があるのにも関わらずちょっとカッコ良くするために外国語・カタカナに言い換えただけではないのでしょうか。
 よく「赤」を例題にしてクオリアの説明がなされていますが、あなたの感じる「赤」と私の感じる「赤」は同じなのだろうか。その「赤」と認識させているのがクオリアなのだと強引に言いくるめているようにしか思えません。そもそも「意識」そのものが解明されていないのにその「意識」が「認識」する」仕組みにああだこうだと議論しても始まらないのではないかと考えています。
 もちろん、私の論旨が正しいと主張するつもりもありませんし異論は星の数ほどあるでしょう。その点について私は他の説を批判的に論ずるつもりはありません。
 ただ一点「クオリア」は説明できないのになぜその用語を使うのかという点なのです。
 勝手なお願いではありますが現象として捕捉できない・検証できないクオリアの仕組みをどなたか解明していただきたいものです。

 この本の一番の残念なところは使われてる図版がどう見てもPowerPoint™で作成したとしか思えないチープなものがほとんどだと言う点です。外部の図版をそのまま引用しているもの以外、独自に改変したものを含めて想像ですが著者本人が頑張って作成したのでしょう。説明に必要最低限なレベルにはありますが、決して美しい図版ではありません。学生に依頼するとか、お金があるのでしたら外部に清書依頼するなどすればよかったのではないかと悔やまれます。

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