どっちが本当だ

 橋の名前が2つ見えますが。
葭屋橋/今橋
 葭屋橋/今橋
 V字型に2本の橋が架かっているため、合わさっている側の橋の銘にそれぞれの表記がされて2つになっています。ややこしいです。
 東横堀川の北端にある橋なのですが、右側の碑銘がある方が葭屋橋(よしやばし)で左側が今橋(いまばし)。
 今橋は大阪の役(大坂の陣)の冬の陣の地図にもこの橋の名前が記載されている事から豊臣時代にはすでに架かっていたようで、江戸時代には橋の両側に大物両替商が軒を並べており、大阪の金融中心地にある橋でした。
 葭屋橋は蟹島遊廓への通路として架けられたもので、明治時代の市電事業に伴い拡幅されています。昭和41年に現在の橋に架け替えの際に2つの橋を合わせた形になりました。
 大阪は日本の物流拠点として大量の様々な物資流通がありましたが、その物流運搬を担っていたのが運河と船。陸路の運搬手段の主力が人力だった時代では大量だったり重いものは船で運搬していました。そのため大阪では水路が発達しており、そこに掛かる橋もかなりの数があったのです。江戸が八百八町と謳われるように、大阪では八百八橋と言われていました。実際にはそんなに橋の数は無かったのですが、それほど多かったのです。
 江戸の橋は公儀橋が多くありましたが、大阪の橋はそのほとんどが町橋であり民間による設営・維持がされていた橋です。町人パワーの大阪だったのですね。

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